最適な周波数で最高の人生を生きる!

 

心と身体のエンジニア

周波数ヒーラー心身調整師 優鍼堂です。

 

 

3連休はいかがお過ごしでしたか?
優鍼堂はいつも通りに仕事をしていました。

いつもと変わらぬ仕事の流れに安心しながら
次のステージの予感をヒシヒシと感じています。

今日のお題「暗黒時代のお話11」

トレーラーの運行が始まって
ドライバー生活が激変していた3年目の夏。

闘病していた母の状態が一気に悪化しました。
父はあちこちに電話していたようです。

教えてもいない派遣会社の事務所にも連絡していました。
それぐらい必死だったのでしょう。

もう18年も前のことで断片的にしか思い出せません。
母の急変に家族兄弟が集まってきました。

優鍼堂は7人兄弟、姉と弟2人、妹3人。
家を飛び出してから兄弟全員が揃うのは初めてでした。

思っていたより意識のしっかりしていた母でしたが
状況は最悪で医学的には何もできない状態でした。

ただただ緩和ケアしかできない状況。
家族が順番に付き添ってちょうど1週間。

母は静かに息を引き取りました。
真夏の7月、暑い日でした。

酷暑の中、母の葬儀の段取りをしていきます。
何も考えず母を送り出すことを考えていました。

馬車馬のように働いてきた3年間で初めての長期休職。
病院に駆けつけてから約3週間が過ぎていました。

葬儀後の挨拶も終わり8月半ばに仕事に復帰しました。
俗にいう四十九日の祭儀も終わり全てが落ち着いたと思った9月。

今度は祖母が急死しました。
いつもならメールで済む父の連絡。

珍しく着信が入っていました。
嫌な感覚が身体を走ります。

この時は長距離輸送で東京に着いたところでした。
無事に到着した安心感もそこそこに電話をかけます。

ほんの数時間前に祖母が亡くなったことを告げられました。
食事中にのどが詰まって10秒ほどでこと切れたそうです。

1週間以上苦しんで痛み止めで朦朧としたまま昏睡状態で亡くなった母と
食事中に窒息して10秒で亡くなった祖母。

連絡が付くすべての人に会えたけれどみんなの心を重くした母。
誰にも看取られなかったけどアッサリ苦しまずに逝った祖母。

両極端な人生の終わり方。
今この地点から思い出す母と祖母の人生の断片。

この差はどこからくるの?
そんなことを考え続けています。

母の逝去から約2か月で2回目の葬儀。
人の命が終わるということは恐ろしいほどエネルギーを消耗します。
全てが終わった時は抜け殻のようになっていました。

このあと起こる優鍼堂の心境の変化はどう表現すればいいでしょうか?
母と祖母の1周忌が来る頃、新しいチャレンジを始める決心をしていました。

 

ここまで書いてきてこの時のことを思い出すためのシリーズだったと理解しました。
「暗黒時代のお話」は明日で完結します(予定)。

続きは明日 to be continue

 

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

毎日のヒーリングとセルフケアで生まれ変わる。

周波数エネルギーであなたの最高の人生を支援します。